昭和11年2月26日、皇道派の青年将校ら1483名が昭和維新の目的で政府要人を襲撃した。
真崎大将を首班とする暫定政権を作り、軍部主導による国家改造に突き進むというもくろみであった。
天皇の側近を「君側の奸」として襲撃したことは天皇の怒りをかい、昭和維新は失敗に終わった。
2月27日、戒厳令宣告。2月29日、戒厳司令部は反乱部隊に対しビラとラジオで帰順を求めた。
この事件以降、軍部は政治支配力を高め、ドイツと防共協定を結ぶに到る。